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カメラを持って"世界"を歩こう。

[あなでじ写真記]

毎週だいたい金曜日に更新するblog。

2026/01/23

十年撮って気づいた写真の撮り方

前回のお話

 別に私に何の実績があるわけでもないし、私には私の写真の撮り方があるように人それぞれの撮り方があると思う。これが正解であると言いたい訳でもないし、推奨するわけでもない。それでもこれを書こうというのは写真を撮るようになって十数年、間に4年程度の迷走期を挟んでようやく撮りたい物、テーマ、コンテキストが決まってきたので現在地を残しておくためだ。

 写真を撮るという行為は孤独なもので、私の好きな被写体は皆好きな訳でもないし、私の視線、視野を必ず誰かに共感してもらえるわけでもない。白黒の写真なんてその最たるもので、一億総写真家時代と言ってもいいくらい写真を撮っている人が多く、「写真家」という肩書が何の意味も成さないくらいたくさんの人々が名乗っている中で一体どれくらいの人が白黒で撮っているのだろうか。カラーの写真に比べて見づらいし、鮮やかさという指標を捨象して物を見ようという人は決して多くないだろう。音楽の流行りで言えばひたすら分かりやすいラブ・ソングが独占しているのと同じようなものであろう。

 鮮やかさ、分かりやすい記号、型にはまった形式美。これらを否定したいわけではなく、多くの人々に共感してもらい、「いいな」と思っていただくには必須の事項であろう。曲がっていて毛の生えたものを「良い」という人は滅多にいないだろうし、そういう価値観は大衆にはインストールされていない。多くの人に認めていただくというのは大変な努力が必要なもので膨大なこれまでの積み上げや傾向の分析が必要である。その結果、大衆に受け容れられたというのは結果的に言えば「自己満足を脱せられた」となるだろう。

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 しかし、ここには見落としてはいけない点があると思う。それは大衆が絡むと必ず消費に結びつくということだ。

 写真を消費する。これがよく分からなかった。何も買っていないし、使ったわけでもない。面白いことに写真集を買ったり、プリントを買ったりして写真を「買う」ことはできるものの、これらは「消費した」とは言われず寧ろその対極として位置づけられている。写真集やプリントの購入が「写真の消費」の対極であるならば、その反対が「写真の消費」として捉えることもできると思う。

 ここで一つ思い当たる節がある。SNSの「イイネ」である。振り返ったときに昨日や一昨日、もう少し前、1週間前に自分がイイネを押した写真をどれくらい覚えているだろうか。昨日でもせいえぜい5枚、1週間前になれば1枚覚えているかさえ私の場合は怪しい。更新ボタンを押さなくてもシャワーのように降り注いでいるようなものである。その中で「イイネ」を押せばいい方で大半は押さずに素通りしているのは私だけではないだろう。ここでは画面に表示された場合のことを書いているが、アルゴリズムに「映す価値なし」と判断されれば、そもそも画面に表示さえしてもらえない。この大量消費の世の中を思い起こしてみれば、大量に使っては捨てる紙コップや割り箸などと同じような形式を取っているように思えてならない。両方とも後ろから大量に市場に押し出すことで、短時間のうちに「交代要員」に置き換えられてしまう。音楽も同じでアルバム一枚を聴かれることはなく、ストリーミングでバラバラにされてしまった。

 以上が私の考えている写真の消費である。大量に消費される使い捨て製品。耐久性の低い安価なモノたち。それらとの同類項を探すことで音楽や写真の消費を解釈しようと試みた。

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 少し前までは私の撮るような写真でも工夫すればSNSでも表示してもらえ、少しずつ、じわじわとであればアカウントを成長させられた。しかし、最近ではそれはほとんど不可能で完全に手詰まりになってしまった。これまで以上に1枚当たりの写真が持っているエネルギーなり力なりが必要となっている。また、当たり前ではあるが、人気のジャンルでなければ成長はほとんどできないだろう。1Xでさえも人気のジャンルに最近は偏っているという話を聞いた。

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 そんな中でどうやって写真を撮るのか。誰にも見てもらえないし、簡単には誰にも評価してもらえない。撮ったところでハードディスクを圧迫するだけで、フィルムであれば現像代も無駄に掛かるし、置き場所にだって困る。楽しければそれで良いのだという意見も最もである。しかし、頭でっかちな私はそれだけの理由では自分を納得させられなかった。中学、高校では運動部に属していたが全く結果がでない。試合ではほとんど勝った記憶はないし、楽しくすればそれで良いのだと思うことにしていた。しかし、写真ではそうはいかなかった。数少ない自分で見つけた趣味であるし、これまでしてきたことの中で一番好きなことであるからだ。

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 「イイネ」の数字を追いかけてみる。これはあまりにも虚しかった。先にも述べたことであるが、私の好きなものは他の人が好きなわけでないし、他の人が好きなものを私が好きなわけではない。写真の良し悪しをイイネの数で測るというのは一見数値で見られて便利だが、撮りたい物よりも「伸びる物」を探すことになってなぜ撮っているのかが分からなくなってくる。弱小アカウントでも少しずつ成長できた時代は良かったが、この価値観で今も続けるのはあまりにも辛いだろう。

 それではどうするのか。結論は好きな物は何か、何を撮りたくてどうしたいのかを突き詰めるしかない。

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 どうやって写真を撮るのか。私はアナログだった。デジタルプロセスとアナログプロセスに大別されるが、どちらでも好きな方でいい。デジタルはできるだけたくさんのデータを持ち帰って後で選ぶというのが王道の撮り方だと思う。一方のアナログは撮る前に欲しい絵を決めることになる。持ち帰れる写真の枚数はデジタルに比べて少ないし、上手く撮れていないと成果がなかったことになる。その代わりに次はどうしようかと考える。パソコンで編集しながら被写体と向き合うのも良いが、私はできるだけその場で直接話を聞くようにするのが良かった。

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 何を撮るのか。迷走期に色々と撮ってみた。農村、花、棚田、海、雪山、都市、田舎。あちこち行ってみたが徐々に絞られていき、最終的には丹後と熊野になった。季節は関係なく、気分で北に行くか南に行くか。元々は山派だったので農村など緑の多いところに行くことが多かったが、気づいたら海で写真を撮っていることが多くなった。

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 最後はなぜ撮るのか。これが一番難しかったことで答えが出るまで1年近くかかってしまった。これも一人で思いついたわけでもなく、ETOさんのnoteを読んでいて見つかった答えだった。ETOさんも白黒のフィルムで雪景色を中心に撮られており、被写体選びは私と近い部分があった。写真が非常に好みであり、何を考えて撮られているのか非常に気になったのでnoteを読んでみることにした。

 撮っておられるのはご自身の故郷である美しい北海道の風景であるが、画面に描かれているのは独りで生きる寂しさや苦しさ、そして力強さだと感じた。風景を撮っているように見えて実際は自身の状態や孤独との向き合い方が表現されているのだと思う。

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 ただ単に美しい物を撮って、その美しさを表現するだけでは足りないのだと思った。美しい絵を作りたいのであれば、もう生成AIで作れてしまうし、十分に満たせてしまう。それでも機材を買って、街を歩いて、時には風の中や雪の中、燃料を焚いて撮りに行かないといけないのだろうか。

 写真を撮るのは人間なのだから感じたこと、思ったこと、伝えたいことが本来あるはずだ。音楽だって恋を歌ったポップスが全てではない。移り行く四季を綴ったビバルディや苦悩や絶望を交響曲にしたヴェートーベン、不満や怒りを表したロックなど様々なものが本来あるはずだ。そういったものはAIでは作れないし、写真も芸術の一つなので本来表現したいもの、伝えたいものがあるのではないだろうか。

 写真の言語化。これは言われて久しいことであるが、最近だとインフルエンサーと言われる人々がしきりに口にしている。なぜ美しいのかということやなぜ撮ったのかというようなことを言語にすることで、知識や体験を棚卸しできるというような主張である。しかし、往々にして語られることはレタッチの方法論であり、その先を語られることはない。それに加えてこの逆が語られることはほとんどなく、写真から言語への一方通行である。

 私が本当に必要だと思うのはこの逆で、言語の「写真化」なんだと思う。思ったことや感じたことから何を伝えたいのか。いくら写真を言語化してレタッチを工夫したとしても美しい絵にはなるが、何かを伝える力は生まれてこない。何を撮って何をするのかではなく、何を伝えたくてどこで何を撮るのかに入れ替える必要があるのだろう。そうでないと人に聞かれても説明できずに困ってしまう。

 そうやって考えてみると、人に話したいがあまり聞いてもらえそうもないことはたくさんある。それを写真に込めていく。いつか誰かが評価してくれれば良いのだが、少しずつ撮り貯めていくしかない。SNSに上げてもイイネは付かないかもしれない。でも別に気にすることもないだろう。撮っては上げて撮っては上げてを繰り返していた自分自身も写真を消費していたのだから。撮影時やプリント時の技術を磨き、たくさんインプットし、いつかキチンと作品としてまとめられれば良い。キャデラックには乗れないかもしれないが、そうやってこれからも写真を取り続けていこう。

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