blog | らいちょうくんの写真館 blog | らいちょうくんの写真館

Grouse Photograph Gallery

カメラを持って"世界"を歩こう。

[アナデジ写真記]

毎週だいたい金曜日に更新するblog。

2025/4/25

FM2を持って石見銀山と松江城へ

前回のお話

 奥出雲松江旅2日目。7時に一階の食堂に集合だったため、6時半に起床。集合時間まで残り30分だが、友人が朝風呂行くぞというのでササッと入りに行くことにした。温泉には誰もおらずゆったりと浸かれた。露天風呂の水面からひとつづきに見える湖面の奥には朝日に照らされてまだオレンジ色をしている山々が見えた。

 なんやかんやで30分あれば十分浸かれるもので、集合時間にはギリギリ間に合って朝食をとった。

 2日目もそれなりに予定が詰まっているため8:30にはホテルを出発し石見銀山へ。出雲よりもまだ西にあるため移動には1時間程かかった。銀山の麓にある代官所前駐車場に車を駐めてレンタサイクルで坑道へ向かう。今回のフィルムはlomo92。感度は400と書いているのだが、実効感度はそれ以外という情報を事前に聞いていたのでEI200で撮影した。やはり実効感度は足りておらずEI160でも良いようなフィルムだった。

×
×

 現在公開されている坑道は龍源寺間歩という坑道で、山腹に横穴が穿たれている。龍源寺間歩に着くまでの山道にもいくつもの廃坑があり、まさに山は穴だらけ。海外の銀山は銀がまとまって埋蔵しているが、石見の場合は岩の割れ目に銀が入っているような形であるため、外から鉱脈を目指して穴を掘り、見失ったらまた別の穴を開けてを繰り返して銀を掘り出していく。坑道の中もあちこちで分岐しており、鉱脈を追いかけた様子が伺える。

 見学の順路として坑道のちょうど真ん中辺りまで進み、途中から観光用に新たに坑道が横へ伸ばされていて、ここで終了となる。見学にかかる時間は30分程度だろうか。

 見学が終わったら龍源寺間歩の入り口の駐輪場に駐めた自転車のもとに戻り、大森町の伝統的な町並みを見ながら代官所前駐車場へ戻る。

×
×
×
×
×
×

 沿道の町並みは江戸時代の雰囲気を残しており、ちょうど咲いていた梅と相まってタイムスリップしたようだった。駐車場まで戻ってきたら一旦松江に引き返して昼食とする。今回の昼ご飯は鯛めし。なんとか予約が取れたので「鯛や」さんでいただくことにした。料理を撮ったPENTAX17をまだ撮りきっていないので写真がなくて恐縮だが、鯛めしは一人用の釜に入れて出され、中には鯛の切り身が入っている。これに鯛のお造り、天ぷらに小鉢諸々が一つのセットになっていた。

 鯛めしは醤油味に鯛の出汁がよく出ていて非常に美味だった。メインディッシュの後にはデザートとしてプリンも出していただいた。これも手作りのプリンで味も良かった。

 昼食を食べたら再び西へ戻って荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡へ。荒神谷遺跡では大量の銅剣が出土し、加茂岩倉遺跡では多数の銅鐸が出土した。どちらとも一度に出土した量としては日本最大で、古墳時代に如何に出雲地方が栄えていたかの証拠となっている。両方ともとんでもない山の斜面から出土しており、なぜそんなところに埋められたのかは謎のままである。私は古代史にはあまり明るくないのでそうなんやという漠然とした感想だが、古代史マニアの人々が見ると全く見方が違うのだろう。

 その後再び東進し今度は松江城へ。古代から近世へ目眩がするほどの時間の差があるが、やはり近世まで来ると非常に分かりやすくて助かる。小高い丘の上に建てられており、外には二重の掘。さらに城は宍道湖よりも北側に位置しており、攻め込むには宍道湖から中海に流れる大橋川を越える必要がある。かなりの水量がある上に幅も広く深いのでこれを越えるのは辛かろう。lomo92は撮りきったのでここからはUltraMax。

×

 駐車場は大手門跡と前にあり、城へのアクセスは良好。天守以外の建物は現存していないが、丘を登る階段と石垣はそのまま残されており当時を想像することはできる。安易に復元せずとも頭の中でイメージするというのも一興である。

×

 チケットを購入して本丸に入る。4重5階建ての天守で日本で12カ所しかない貴重な現存天守の一つ。建てられた時期は割と後期で木材不足であったため1階から最上階までを貫くような心柱を用意できず、2階分のみを貫く通し柱を使って建てられている。計算機もない時代にこれだけの制約条件がある中で建てているので当時の大工の凄さを感じられる。

×

 天守よりも高い建物はなく、遮るものがないため最上階からの景色は格別である。松江の街並みから宍道湖まで一望できる。

 一通り見たら天守を後にする。既に日曜日の17時であり、そろそろ大阪まで帰らねばならない。山陰道に上がり、もと来たように米子道を南下する。夕暮れの弱々しい光が大山を照らしていた。

×

 5時間ほど掛けて大阪まで戻り集合場所の上本町で解散。1泊2日の短い旅行であったが、出雲の製鉄の文化と石見銀山など今回は金属に関わる内容が多かった。日本には鉄の産地が少なく出雲の鉄は全国的な需要があって二次大戦が終わるまでも大規模な製鉄が続けられていたそうだ。そうなるとやはり生まれ育った近畿地方とは違ってくるわけである。同じ国内と言えども異文化体験であった。

 今回はここまで。今週も皆様にとって良き週末となりますように。

過去の記事

Home

Equipments

Camera

Lens

Labo

FILM Library

Film Development

Blog

最新の記事

2025年

2024年

2023年

Social Media

note

film biyori

instagram