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カメラを持って"世界"を歩こう。

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[アナデジ写真記]

毎週だいたい金曜日に更新するblog。

2024/8/2

D780と紀伊半島をドライブしよう。

前回のお話

 そんなに朝早く出るわけでもなく、朝ごはんもしっかり食べて8時前ごろに家を出発する。今回の荷物は財布と携帯と一眼レフのD780だけ。

 大阪から169号や168号を使って紀伊半島南部を目指すには外環状線を使って葛城へ抜けて吉野川(紀の川)へアクセスする方法が一般的であるが、外環状線は信号が多いので阪奈道路で奈良に出たら、24号をひたすら南下する。阪奈道路は北側へ曲がっているので遠回りに見えるが、私が思うにこのルートが最速である。

 また、今回は黒滝のところてんを土産品に決めていたため、一度大淀へ向かい千石橋を渡って309号を南下する。橋を渡って下市を抜け、つづら折りの道を登ってしばらくゆくと黒滝村だ。道の駅に着いたのは10時半頃だったが、すでに駐車場は満杯であった。ここで休憩して天川村まで行くのだろう。

 私はところてんにしか用事はないので道の駅でささっと目的を達成して再出発。少しだけ国道を戻り、丹生川上神社の裏を回り丹生川沿いの細い県道を抜けて西吉野へ向かう。

 丹生川は吉野川の一支川であるが、結構な水量があり立派な川だった。丹生川は丹(に)を生む、丹とは水銀のことで古代はこのあたりで水銀が採れれていたのではないかと言われている。

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 水銀というのは非常に便利な金属で、自然界では朱い砂のような状態で存在しており、顔料として利用される。さらに各種金属の精製、防腐剤としての利用、化粧品、果ては古代中国では不老不死の薬になると信じられていた。

 神社や平城の都の朱い色彩はこの水銀朱によるものと言われており、奈良の枕詞「あをによし」の「に」は丹である。

 さらに、水銀は金を溶かし込んで仏像に塗り、その後焚き付けて水銀を蒸発させると金メッキを施せる。奈良の大仏もこの金アマルガム法を用いてメッキを施したそうだ。想像ではあるがこのあたりから水銀を運んだのではと考えるとロマンがある。

 さて、そんなことを感じながら車を西へ走らせ県道20号線との交差点である西吉野町十日市の集落を目指す。

 十日市の集落もなかなかに趣深い集落であり、小さな平地に村が形成されていた。

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 現在の橋がかかるすぐ横には川に材木が打ち込まれており、その左岸には石造りの壁が設けられていた。明らかに橋の跡であり、かなり前から大型の橋がかけられ栄えてきたのだろう。川に降りて写真を撮り、しばらくして出発する。まだまだ道は長いのだ。

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 十日市で道草食った分を取り返すべく、ここから当分の間はノンストップで走り抜ける。未成線の五新鉄道の橋梁をくぐり、168号に合流したら一気に天辻峠を登り、出来て真新しいバイパスを使って一気に猿谷貯水池の湖岸を走り抜ける。快速を以て南下し、1時間ほどすれば風屋ダムに到着。ダムカードを貰うために証拠写真を撮影し、再び出発。

 天辻峠で稼いだ標高を一気に消化して十津川の街まで下りる。役場の横の道の駅で蕎麦をいただき、「滝の湯」という温泉へ。悠長に温泉に浸かっている時間はないのでダムカードだけいただく。

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 168号に復帰し、さらに南下。途中二津野ダムを経由し、熊野川と北山川の合流点を目指す。

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 ダムを越えると土木学会田中賞を受賞した七色高架橋へ出る。あまりに谷の両岸が急峻であるため、崖に道を付けるのではなく谷と並行して全て橋で道を通すという奇想天外な高架道路である。これ以降は狭隘で細かなカーブが連続する未改良区間が挟まることはなくなり、緩やかで幅員の大きな区間が新宮まで続く。

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 鮮やかな水色に輝く熊野川に沿って下り、左折して宮井橋を渡って瀞峡方面を目指す。今回最後の目的地は丸山千枚田で、関西では最大の棚田ではないのだろうか。

 169号を快調に進み、311号へ。169号とは打って変わってセンターラインのない屈曲した道で、しばらく注意深く進む。程なくすると線形は改良され、再び快適な道に戻る。3連のアーチ橋である瀞大橋で北山川を渡り、飛び込むようにトンネルをくぐれば千枚田はもうすぐ。道の駅を左に見て少し行くと、左折し、細い県道を進むと到着だ。

 今までに見てきた棚田に比べて、どれよりも一枚は小さく、高低差も圧倒的だ。駐車場もところどころに整備されているため、安心して見学できた。

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 しばらく見学したらさらに棚田を登って展望台へ。

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 有名な撮影場所でインスタやらTwitterやらで見るのはだいたいここからである。

 さて、ひと通り見たらここからは一気に帰宅する。すでに時刻は16:30になっていた。行きは168号で来たが、細い道はもう満足なので、全線が二車線になっている169号を選択。そうして意気揚々と311号を戻り、169号との交差点を右折。トンネルと橋梁で繋がれた快適な道をゆく。

 しかし、すぐに私の考えが甘かったことが判明した。実は小松トンネルから309号までの間は未改良であったのだ。結局1.5車線しかない山道を崖に張り付くようにして進むことになった。諦めつつしばらく走り、きなりの郷で一度休憩。飲み物を調達し、再び出発。

 長らく崩土により通行止めとなっていた169号だが、漸く仮設桟橋ができて通行が可能となった。この仮設桟橋を見たくて169号を選んだというのもある。これと言って特筆すべきことはないが、下北山村の村民に取っては文字通り生命線であり、待ちわびた完成であろう。長大トンネルにより本復旧されるようであるが、一刻も早い完成を期待したい。

 さて、ここからはたくさんの帰宅戦士たちと隊列を組み、谷間に彫り込むようにして付けられた道をアウトバーンを進むかの如く勢いで北を目指す。途中に分かれ道もないため、全員行き先は同じである。池原のきなりの郷を出たら次に停車したのは吉野であった。

 ここからは来た道を戻り、奈良市を目指す。24号から左折して三条通に入り、王将で夕食とし、引き続き阪奈道路で大阪へ。

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 これで今回の弾丸旅は以上である。写真を撮ったりしているので、ドライブ好きの諸氏には劣るがこれでも走行距離は407kmであった。狭隘な林道区間も多分に含まれるので十分である。

 さて、今週はここまで。今週も皆様にとって良き週末となりますように。

 ・・・

 ところてんの写真も置いときます。

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