[アナデジ写真記]
毎週だいたい金曜日に更新するblog。
2023/4/21
―春待つ渓谷―
今週はノスタルジーを駄文でお届け。
少し前の話だが、長野県大鹿村へ行ってきた。大鹿村を知らないと思うので、少しだけ説明したい。長野県南部に位置し、飯田市が周囲の大きな街だ。飯田市の中心部は中央アルプスと南アルプスの高峰に挟まれた「伊那谷」と呼ばれる長い谷に位置しており、天竜川が幾重にもなる河岸段丘を形成している。衛星写真を開いてやると伊那谷の東隣に深く刻み込まれた谷が見える。「遠山谷」と呼ばれる谷で、この中程に大鹿村は位置している。南アルプスほどではないとはいえ、伊那谷と遠山谷を隔てる山脈も人の流れを遮るには十分に険しく、大鹿村へは曲がりくねった道を行く必要がある。
当日は生憎の天気で、終始雨であった。雨は天竜川を茶色く濁らせ、周囲の山々を霧のベールで覆った。私を乗せた車は松川の町から小渋峡へ突入してゆく。道路はかなり改良され、急カーブはかなり減らされていた。それでも道は曲がりくねり、先を見通せない。
しばらく走ると巨大で艶めかしい曲線の堤体を持つ小渋ダムがその姿を現す。天端の高さは100mを超える大型のアーチ式ダムだ。エメラルドグリーンの湖水を静かにひっそりと湛える。
小渋ダムを過ぎると連続して何本もトンネルをくぐる。旧道は非常に険しく、文明によって地形を克服した証だ。しばらく快適な道を進み、丁字路を右折すると大鹿村の中心部だ。まずここで中央構造線博物館へ向かう。地形とか地質は私の興味が及ぶ範囲にあり、断層が見える露頭とか地層を見てみたいと思っていた。館内に入ると露頭から一部を剥がしてきて、中央構造線の断層を見れるようにしていた。
日本列島に押し寄せる海洋プレートの表面に堆積した物を大陸プレートが削り取り、その削りカスが大陸プレートの表面に積もってゆく。「付加体」と呼ばれるもので、量が増えてくると陸上に現れる。そのため、日本の地質は太平洋側が新しくなっており、その様子を大鹿村では観察できるのだ。
しばらく太古の昔に思いを馳せたあと、本日の旅館、「湯元 山塩館」へ。名前が山塩なのは、温泉が塩水だからだ。このあたりの地下には岩塩が眠っているらしく、温泉がこれを溶かしたあとで湧出するため、塩水となる。遠く神代の頃より知られていたらしく、租庸調の貢物として塩が献上されていたそうだ。
チェックインを済ませてしばらくすると、雨は弱まっていた。いつも通り私はFM2を首から下げて外へ。急な山道を一人下る。雨水がアスファルトに模様を作る。谷川にかかる工事中の橋を渡り、谷底の民家の脇を歩く。
背後に南アルプスが追いかけるようにしているのに、正面も頂きの見えぬ山々に閉ざされている。3月下旬でも信州の春は遠く、物憂げな様子で梅が咲いていた。
梅の下まで降りてきた。あまり使われてはなさそうな公民館。傘を差していて両手を使えない私はシャッタースピードを右手で1/60秒にする。50mmのレンズなのでこれ以上遅くすると手ぶれしてしまう。絞りは開放の1.4。そこからファインダーで確かめては右手で適正露出まで絞っていく。ピントもレンズに書かれている距離を参考に合わせていく。
そうやって、雨降る村内を傘を差して一人で歩く。国道まで降りると民家が増えて、村らしくなる。赤い鉄板で葺いている部分は増築したのだろうか。
再び山を見上げる。やはり頂きは見えない。
橋に出た。絞りが2のせいか解像感はすこぶる悪い。竹藪の竹は一つの房のようだ。
あまりゆっくりしていると、山深いところは急に暗くなってしまう。知らないところで、雨が降る中夜道を歩くのは怖く、宿へ戻ることにした。大きく右カーブを描くその先へ。
宿へ戻るとすぐに夕食の時間になった。同行者はすでに温泉に浸かったあとだった。それもそうだ、こんな雨の中歩きに行くもの好きは居まい。
大鹿村で取れた魚、鹿肉、鯉など、山村らしい料理が並ぶ。ハイボールをいただいて贅沢な時間を過ごした。
部屋に戻ってからもしばらく集まって談笑していると夜も更けてきた。閉まってしまう前に温泉へ入ろう。
次の朝。やはり天気は雨。これはこれでいいじゃないか。
駒ヶ根、岡谷と周って大阪へ戻っていくのであった。
久しぶりに分量のある文章になった。山奥の気分を少しは感じていただけただろうか。それでは、これくらいで。今週も皆様にとって良き週末となりますように。