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カメラを持って"世界"を歩こう。

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[アナデジ写真記]

毎週だいたい金曜日に更新するblog。

2024/6/7

大阪スナップ-vol.1

前回のお話

 私だけではないと思うが、車を使うようになるとまるで運動しなくなる。車を買う前は出かけるには電車か自転車を使う必要があるが、車を手に入れたらどこでも車で出かけるようになる。それに加えて人混みが嫌いなので梅田でさえ車で行く始末である。

 それに輪をかけて去年の夏は暑かった。外に出ると一瞬で汗だくになるので、ちょっとの距離も車。そのままの勢いで冬になっても車。この体たらくであるので、これまで履けていたスラックスや作業着がパツパツになってしまった。

 これはさすがに不味いことを自覚した私は約1年ぶりにまともに自転車に乗ることにした。離れとの間の軒の下に置きっぱなしになっていたクロスバイクを引っ張り出す。雨には当てていないのでサビは見当たらないが砂埃が被っている。このまま乗ると埃だらけになるので一度洗車した。半時間ほどかけて洗ってやると見違えるようにきれいになり、出かけるぞという意欲が俄然湧いてくる。

 昼ご飯を食べたら気が変わらないうちに出発。普段ママチャリばかり乗っているので細いタイヤに多少の不安を感じた。

 少し走るとすぐに感覚は戻りスポーツバイクらしい快速で西進する。戦争で焼けなかったこの辺りは狭い路地が迷路のように走っている。

 そこから少し走ると再開発された区画に抜ける。駅前は整理され、大きなマンションがいくつも建ち並び都市の端に到達したことがわかる。複々線の線路に沿って進み、しばらくすると線路は大きくカーブ。今度はその下ををくぐってまっすぐに都心を目指す。

 JR環状線の下のカルバートを通り、大阪城の北東門に出る。

 環状線を越えると越えるといよいよ大都市らしくなってくる。

 国道一号に合流するとすぐに銀橋が見える。正式名称は桜宮橋であるが、この名前が気に入っている。かなり古い橋で1930年に架けられており戦前では国内最大のアーチ橋であった。(引用:大阪市北区HP)

 私が小学生だった頃はこの橋だけで片側2車線の4車線道路の国道1号の交通を捌いていたが、さすがに手狭になり横にも新しい橋が架けられた。安藤忠雄氏を中心として設計がなされ、元々の銀橋の景観に配慮して架橋されたようだ。

 さて、橋を渡ると左側に昇降口が設けられている。ロマネスク風の小さな塔は銀色の現代都市の風景にアクセントを添える。入口から塔内を覗けば橋が架けられた当時の余韻が今も響いていた。

 橋を渡りきり造幣局を越えるといよいよ建物は高層化し、大都市と言っても差し支えないだろう。歩道には人が溢れ自転車で走るには少々危険であるためしっかりと車道をゆく。車道は車道で路駐の車がいたり、横を高速で追い越されたりするため恐ろしい。すこしは我慢していたのだが、信号も多くさすがに恐ろしいので一筋中を走ることにした。そうしてしばらく進むと大阪天満宮に到達した。

 参拝の予定はなかったのだが、折角であるのでお参りしていくことにした。大阪に住んでいる受験生にとって天満宮は聖地であり、私も例に漏れず高校受験時と大学受験時には道真公のお力をお借りすることにした。それ故か無事に志望するところに通うことができた。

 手水で手を清め本殿に手を合わせる。この神社は戦争の空襲でも焼けることはなく古来からの姿を留めている。全てを焼かれた大阪では非常に貴重である。さらに大阪平野は標高が著しく低く井戸の水質は良くないのだが、天満宮の井戸水はこの辺りでは唯一飲用が可能であり、江戸時代には周囲の大名屋敷でもこの水が使われたようである。

 私も一口いただくことに。山間部の清水に比べれば見劣りしてしまうのは確かであるが、ここは海抜0メートル地帯であり十分である。江戸当時の水の苦労を少し感じた。

 天満宮まで来ればすぐに梅田であるのだが、長くなるので梅田編は次回とする。

 今週も皆様にとって良き週末となりますように。

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